幸せは「手に入れるもの」ではなく、「感じる力」なのかもしれない

「幸せになりたい。」

そう思ったことは何度もある。

でも最近は、「幸せになる」というより、「幸せを感じられるようになりたい」と思うようになった。

昔の私は、幸せは何かを手に入れた先にあるものだと思っていた。

仕事で認められること。
収入が増えること。
欲しかったものを買うこと。
目標を達成すること。

もちろん、それらは嬉しい。

でも、その嬉しさは意外と長く続かなかった。

”新しい目標ができて、また足りないものを探し始める”

その繰り返しだった気がする。

当たり前だった毎日が、少し違って見えた

一方で、心がしんどかった時期を経験してからは、少しだけ幸せの感じ方が変わったと思う。

朝、普通に起きられること。
ご飯がおいしいと思えること。
静かな部屋でゆっくりコーヒーを飲めること。
休日に予定がないこと。

以前なら当たり前だったことが、「ありがたい」と思えるようになった。

幸せは、比較することで輪郭が見える

もちろん、つらい経験をした方がいいと言いたいわけではない。

苦しいことは、できれば経験しない方がいいと思う。

しかも、誰かに「その経験には意味があるよ」と簡単に言えるものでもない。

ただ、自分自身を振り返ると、苦しかった時間があったからこそ、今ある穏やかな時間に気づけるようになったのは事実だった。

人は、何かを失った時に、その大切さに気づくことがある。

健康を失って健康のありがたさを知る。
忙しさの中で、何も予定がない休日の価値を知る。
人間関係に疲れて、一人で過ごす時間の心地よさを知る。

きっと幸せは、突然どこかから現れるものではなく、比較することで輪郭が見えてくるものではないかと思う。

「もっと頑張る」から「穏やかに過ごす」へ

以前の私は、「もっと頑張れば幸せになれる」「頑張らないと先がない」と思っていた。

だから、休むことにも罪悪感があった。

何もしない日は、価値のない一日だと思っていた。

でも今は少し違う。

疲れた日は休めること。
安心して眠れること。
「今日は何も起こらなかったな」と思えること。

そんな一日を幸せだと思えるようになった。

幸せを感じる余裕はあるだろうか

もうひとつ感じることがある。

それは「幸せはあっても気づけない時期がある」ということだ。

忙しい時。
心に余裕がない時。
何かに追われている時。

そんな時は、目の前に小さな幸せがあっても、それを受け取る余裕がない。

だから、「幸せがない」というわけではなく、「幸せを感じる余裕がない状況なのではないか」とも思う。

幸せを増やすより、感じられる自分でいたい

だから最近は、「幸せを増やそう」とはあまり考えなくなった。

その代わりに、「幸せを感じられる状態を大切にしよう」と思うようになった。

よく眠ること。
無理をしすぎないこと。
安心できる人と過ごすこと。
静かな場所でゆっくりすること。

そんな時間が、幸せな時間であると認識することが大切なんじゃないかと思う。

幸せは、もう目の前にあるのかもしれない

幸せは、特別な出来事だけではない。

何も起きない一日。
安心して眠れる夜。
好きな飲み物をゆっくり飲める時間。

以前なら見過ごしていたものが、今では幸せだと思える。

もしそうだとしたら、幸せは「手に入れるもの」ではなく、「気づくもの」なのかもしれない。

そして、その力は、人生のいろいろな経験の中で少しずつ育っていくものなのかもしれない。

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