「いい人でいるのって、疲れるな。」
そんなことを思ったことはありませんか?
職場で誰かに話しかけられたら、できるだけ感じよく返事をする。
相手の意見に納得できなくても、とりあえず話を合わせる。
頼まれごとをされたら、できるだけ期待に応えようとする。
一つひとつは、それほど大きなことではないかもしれません。
でも、そうしたことが毎日続くと、少しずつ疲れてしまうことがあります。
私自身、以前は周囲の人にどう思われるかを、必要以上に気にしていたように思います。
嫌われたくない。
できれば、感じのいい人だと思われたい。
誰かと気まずくなるくらいなら、自分が少し我慢すればいい。
そんなふうに考えていました。
ただ、今振り返ると、相手のことを考えているつもりで、自分の気持ちを後回しにしていたことも多かったように思います。
もちろん、人に親切にすることや、周囲に気を配ることが悪いわけではありません。
私も、そうした気持ちは大切にしたいと思っています。
でも、誰かに嫌われないために、いつも自分が我慢しなければならないのでしょうか。
相手に合わせることが、本当に自分の望んでいることなのでしょうか。
最近は、そんなことを考えるようになりました。
「いい人」をやめることは、誰かに冷たくすることではない。
むしろ、自分の気持ちも大切にしながら、人と関わっていくことなのかもしれません。
この記事では、私自身の経験を振り返りながら、仕事で「いい人」でいようとして疲れてしまう理由や、自分のペースを守るために考えたいことについて書いていきます。
仕事で「いい人」でいようとして疲れていた
以前の私は、周囲の人にどう思われるかを、必要以上に気にしていたように思います。
例えば、誰かが他人の悪口を言っているとき。
心の中では「そこまで言わなくてもいいのでは」と思っていても、相手に合わせて「そうだよね」と同意することがありました。
別に、その人の意見に心から賛成していたわけではありません。
ただ、その場で反対することで空気が悪くなったり、相手との関係が気まずくなったりすることを避けたかったのだと思います。
もちろん、だからといって、同意したことを強く後悔していたわけではありません。
その場を円滑にやり過ごすためには、そういう対応も必要だと思っていました。
また、相手の立場やその場の雰囲気を考えて、愛想よく振る舞うこともありました。
相手の顔色をうかがい、何を言えば喜んでもらえるか、何を言わなければ機嫌を損ねずに済むか。
そんなことを考えながら、人と接していたように思います。
お金の使い方にも、似たようなところがありました。
誰かと食事をしたときなど、自分から多めにお金を出すこともありました。
気前のいい人だと思われたかったのかもしれませんし、その場の雰囲気を壊したくなかったのかもしれません。
ただ、こうした行動の一つひとつを、特別に後悔していたわけではありません。
人間関係を円滑にするために、相手に合わせることは誰にでもあると思います。
私も、相手に気を遣うこと自体が悪いとは思っていません。
ただ、いつも相手の反応を気にして、相手に合わせることを続けていると、少しずつ疲れてしまうのです。
誰かと話すときも、相手の機嫌を気にする。
何かを決めるときも、相手がどう思うかを先に考える。
自分がどうしたいかよりも、相手にどう思われるかを優先する。
そんなことが当たり前になっていました。
一つひとつは小さな気遣いでも、それが積み重なると、知らないうちに負担になっていることがあります。
そして、ふと思うのです。
「自分は、いつまでこうして周りに合わせ続けるのだろう。」
誰かに嫌われたくない。
できれば、いい人だと思われたい。
そう考えることは、決して珍しいことではないと思います。
でも、人間関係を円滑にするために、いつも自分が気を遣い続けなければならないのでしょうか。
最近は、そんなことを考えるようになりました。
なぜ嫌われないように振る舞ってしまうのか
そもそも、なぜ私はそこまで周囲の人に合わせようとしていたのでしょうか。
振り返ってみると、やはり「人から嫌われたくない」という気持ちはあったと思います。
できれば、誰とでも良好な関係を築いていたい。
感じの悪い人だと思われたくない。
自分の言動が原因で、相手との関係が悪くなることは避けたい。
そんな気持ちが、少なからずありました。
ただ、それだけではなかったようにも思います。
例えば、誰かが他人の悪口を言っているとき。
そこで「私はそう思わない」と伝えたところで、相手が納得してくれるとは限りません。
場合によっては、そこから議論になったり、相手の機嫌を損ねたりすることもあります。
私の場合、特に雑談では、相手に合わせることが基本的なスタンスになっていました。
相手が何かについて意見を言えば、まずはその話を受け入れる。
自分とは少し違う考え方だったとしても、あえて反対せず、話を合わせる。
そうした方が会話も続きやすく、余計な摩擦を生まずに済むからです。
もちろん、それが悪いことだとは思っていません。
雑談のたびに自分の意見を主張する必要はありませんし、相手の話に合わせることも、コミュニケーションの一つの方法だと思います。
ただ、相手に合わせることが当たり前になると、いつの間にか自分の意見を伝える機会が少なくなってしまいます。
相手に合わせるかどうかを自分で選んでいるというより、気づけば相手に合わせることが習慣になっていたのです。
適当に話を合わせて、その場をやり過ごした方が楽だと思っていたのです。
もちろん、すべての場面で自分の意見を伝える必要はないと思います。
相手の話を聞き流すことも、人間関係を円滑にするための一つの方法でしょう。
ただ、私の場合は、そうした対応がいつの間にか当たり前になっていたように思います。
相手の立場が上であれば、なおさらです。
相手が何を求めているのかを考え、できるだけ期待に沿うように振る舞う。
自分の考えがあっても、相手の意向を優先する。
そうしていれば、余計な摩擦を生まずに済むからです。
相手に合わせることは、その場の面倒を避けるための方法でもあったのだと思います。
しかし、その場では楽になったとしても、気を遣うこと自体がなくなるわけではありません。
次にその人と会ったときも、相手の反応を気にする。
何かを話すときも、言葉を選ぶ。
相手が不機嫌そうにしていれば、自分の言動に問題がなかったかを考える。
こうして、気を遣う時間が少しずつ増えていきました。
考えてみれば、相手にどう思われるかは、自分だけで決められることではありません。
どれだけ愛想よく振る舞っても、相手が自分をどう評価するかは分からないのです。
それなのに、嫌われないように、気まずくならないようにと、相手の反応ばかり気にしていました。
自分ではコントロールできない相手の気持ちを、何とかしようとしていたのかもしれません。
もちろん、周囲との関係を大切にすることは必要です。
職場であれば、相手の立場を考えて行動しなければならない場面もあるでしょう。
ただ、相手との関係を悪くしないことばかり考えていると、自分がどうしたいのかを考える機会が少なくなってしまいます。
誰かに嫌われないことを目標にするのではなく、自分が納得できる関わり方を考える。
今は、そのことも大切にしたいと思っています。
「いい人」でいることと、自分を犠牲にすることは違う
人に親切にしたり、相手に気を遣ったりすることは、決して悪いことではありません。
私自身、これからも周囲の人とはできるだけ良好な関係を築いていきたいと思っています。
相手の話を聞くことも、必要に応じて自分が譲ることも、大切なことだと思います。
ただ、最近は一つ考えることがあります。
相手にとって都合のいい人でいることと、本当にいい人であることは、同じなのだろうか
ということです。
例えば、誰かに合わせて自分の意見を言わなかったとします。
その場では会話が円滑に進み、相手も気分よく話せるかもしれません。
でも、それが毎回続くと、自分の考えを伝える機会がなくなってしまいます。
また、相手に気を遣って、必要以上に愛想よく振る舞うこともあります。
その場の雰囲気をよくするためには、そうした対応が必要なこともあるでしょう。
ただ、相手と会うたびに自分の態度や言葉を気にしていたら、疲れてしまいます。
お金の使い方も同じです。
誰かと食事をしたとき、自分が多めに支払いたいと思うのであれば、それでいいと思います。
しかし、気前のいい人だと思われたいから、あるいはケチだと思われたくないからという理由で、無理をしてまで多く支払う必要があるのでしょうか。
こうして考えると、相手に合わせること自体が問題なのではないと思います。
大切なのは、その行動を自分が納得して選んでいるかどうかではないでしょうか。
相手の話に合わせたいから合わせる。
今日は自分が多めに払いたいから払う。
相手との関係を考えて、今回は自分が譲る。
そうした選択なら、必ずしも自分を犠牲にしているとは思いません。
一方で、本当は気が進まないのに、嫌われたくないから合わせる。
無理をしていると分かっていても、相手の期待に応えようとする。
そうしたことが続くと、少しずつ自分がすり減っているような感じになっていきます。
もちろん、仕事や人間関係では、自分の希望ばかりを優先できるわけではありません。
立場によっては、相手に合わせなければならない場面もあります。
それでも、すべての場面で自分を後回しにする必要はないと思います。
相手を大切にすることと、自分を大切にすることは、どちらか一方しか選べないものではありません。
人に親切にすることも、周囲に気を配ることも、これからも大切にしたいと思っています。
ただ、そのために自分が疲れ切ってしまうのであれば、少し関わり方を見直しても良いとも思います。
「いい人」でいることをやめるというのは、決して優しさを捨てることではありません。
自分の気持ちを全部無視してまで、相手の期待に応えようとすることを少しずつ減らしていく。
私にとっては、それが「いい人」をやめるということなのだと思います。
相手に合わせることが当たり前になると、仕事を頼まれたときにも、つい引き受けてしまうことがあります。
私自身、断ることで相手にどう思われるかを気にしていた時期がありました。
仕事を頼まれたときに「できない」と伝えることについては、別の記事でも書いています。
相手の機嫌まで、自分が背負わなくてもいい
職場で誰かが不機嫌そうにしていると、つい気になってしまうことがあります。
「何か気に障ることを言ってしまっただろうか」
「今は話しかけない方がいいだろうか」
そんなことを考えることもあります。
ただ、私の場合は、相手が不機嫌そうなとき、なるべく近づかないようにしています。
わざわざ話しかけたり、機嫌を取ろうとしたりするのではなく、必要がなければ距離を置く。
その方が、自分も余計な気を遣わずに済むからです。
もちろん、仕事で必要なやり取りまで避けるわけにはいきません。
伝えなければならないことがあれば、相手の状況を見ながら、必要なことを伝えるようにしています。
ただ、それ以上に相手の機嫌を気にする必要はないのではないかと思っています。
そもそも、人が不機嫌になる理由はさまざまです。
仕事が忙しいのかもしれません。
体調が悪いのかもしれません。
自分とはまったく関係のないことで、嫌なことがあったのかもしれません。
もちろん、自分の言動が原因になっている場合もあるでしょう。
そのときは、必要に応じて振り返ったり、謝ったりすることも大切だと思います。
しかし、相手が不機嫌だからといって、必ずしも自分に原因があるわけではありません。
相手の様子を気にかけることと、相手の機嫌に責任を持つことは、別のことなのだと思います。
以前の私は、人間関係を円滑にするためには、できるだけ相手に合わせることが大切だと考えていました。
今でも、その考え方が間違っているとは思いません。
ただ、相手に合わせることだけが、人間関係を円滑にする方法ではないとも感じています。
例えば、不機嫌そうな人がいたら、必要以上に近づかない。
無理に会話を盛り上げようとしない。
相手の反応を気にしすぎず、自分のやるべきことに集中する。
そうした距離の取り方も、一つの方法だと思います。
相手の機嫌を変えることは難しくても、自分がどのように関わるかは、ある程度選ぶことができます。
もちろん、職場の立場や関係性によっては、簡単に距離を取れない場合もあるでしょう。
それでも、必要以上に相手の感情に振り回されないようにすることは、自分を守ることにつながると思います。
誰かと良好な関係を築くために、いつも自分から歩み寄らなければならないわけではありません。
ときには、少し距離を置く。
それも、自分のペースを守るための選択なのだと思います。
「いい人」をやめるために、少しずつ変えたこと
「いい人」をやめたいと思っても、長年続けてきた人との関わり方を、急に変えることは難しいと思います。
私自身、以前は相手に合わせることが当たり前になっていました。
誰かが悪口を言えば同意する。
相手の立場や機嫌を考えて、必要以上に愛想よく振る舞う。
人と食事をすれば、気前よくお金を多めに出す。
そうした行動を、特に深く考えることなく続けていました。
ただ、相手に合わせることが増えるほど、人と関わることに疲れを感じるようになりました。
そこで、少しずつ自分の行動を見直すようになりました。
以前はできなかったことも、今では意識して実践できるようになっています。
もちろん、相手に合わせることをすべてやめたわけではありません。
今でも雑談では相手の話に合わせることがありますし、その場の空気を優先することもあります。
ただ、以前と違うのは、相手に合わせるかどうかを、自分で選べるようになってきたことです。
無理に同意せず、話を聞くだけでもいい
例えば、誰かが他人の悪口を言っているとき。
以前は、その場の空気に合わせて「そうだよね」と同意することが多かったように思います。
でも、必ずしも同意する必要はないのかもしれません。
「そうなんですね」
「そんなことがあったんですね」
と、相手の話を受け止めるだけでも、会話はできます。
もちろん、相手によっては、それだけでは物足りなく感じるかもしれません。
それでも、自分が思っていないことまで言葉にする必要はないと思います。
相手の話を否定することと、相手の意見に同意しないことは、同じではありません。
反論するか、同意するか。その二つだけではなく、話を聞くという選択肢もあるのだと思います。
愛想よく振る舞えない日があってもいい
人と接するとき、できるだけ感じよく振る舞うことは大切だと思います。
ただ、自分が疲れているときや、気持ちに余裕がないときまで、無理に明るく振る舞う必要はないのではないでしょうか。
挨拶をする。
必要なことは丁寧に伝える。
相手の話には、できる範囲で耳を傾ける。
それだけでも、十分な場面はあると思います。
いつも会話を盛り上げたり、相手を楽しませたりする必要はありません。
感じよく接することと、無理をして愛想よく振る舞うことは、少し違うのだと思います。
お金の使い方も、自分で決めていい
以前の私は、人と食事をしたときなど、自分から多めにお金を出すことがありました。
それ自体を後悔しているわけではありません。
自分がそうしたいと思って支払うのであれば、今でも構わないと思っています。
ただ、気前のいい人だと思われたいからという理由だけで、無理をする必要はないとも感じています。
自分が多く払いたいときは払う。
そうでなければ、割り勘にする。
それだけのことなのかもしれません。
お金を多く出すことで、相手との関係がよくなることもあるでしょう。
でも、自分がどれだけお金を出したかで、人としての価値が決まるわけではありません。
相手によく思われるためではなく、自分が納得できる使い方を選びたいと思っています。
関わる距離を、自分で調整する
人間関係では、誰とでも同じように接する必要はないと思います。
話していて楽しい人もいれば、少し気を遣う人もいます。
相手の機嫌や言動が気になって、疲れてしまうこともあるでしょう。
そんなときは、無理に関わろうとせず、少し距離を置くことも一つの方法です。
仕事で必要なやり取りはする。
挨拶もする。
でも、それ以上の雑談や付き合いまで、無理に増やす必要はありません。
相手を嫌いになる必要も、相手を変えようとする必要もないと思います。
ただ、自分が疲れない距離感を考える。
それだけでも、人との関わり方は少し変わるのではないでしょうか。
すべてを変えようとしなくてもいい
こうしたことを意識するようになってから、以前よりも自分の意思で人と関われるようになったと感じています。
もちろん、今でも相手に気を遣うことはあります。
その場の空気を考えて、あえて自分の意見を言わないこともあります。
でも、それは必ずしも悪いことではないと思っています。
以前は、相手に合わせることが当たり前でした。
今は、相手に合わせることもあれば、合わせないこともある。
必要であれば距離を置くこともできます。
「いい人」をやめるというのは、相手への気遣いをなくすことではなく、自分の意思で関わり方を選べるようになることなのだと思います。
これまでの自分を否定する必要はありません。
ただ、自分が疲れてしまう関わり方を、これからも続けなければならないわけでもありません。
少しずつでも、自分が納得できる関わり方を選んでいきたいと思っています。
人に合わせることが習慣になっていると、仕事でも自分の予定より相手の都合を優先してしまうことがあります。
その結果、自分の仕事が後回しになり、残業が増えてしまうこともあります。
他の人の仕事を手伝うことで残業が増えてしまう理由については、こちらの記事で詳しく書いています。
誰にでも好かれるより、自分が納得できる関わり方を選びたい
以前の私は、できるだけ周囲の人からよく思われたいと考えていました。
誰かに嫌われるよりは、好かれていたい。
感じの悪い人だと思われるよりは、いい人だと思われたい。
そのために、相手の話に合わせたり、必要以上に愛想よく振る舞ったりすることもありました。
ただ、そうしたことを続けているうちに、少しずつ疲れを感じるようになりました。
そして、今は一つのことを考えるようになりました。
そもそも、誰にでも好かれる必要があるのだろうか。
もちろん、人から好かれることは悪いことではありません。
職場で良好な人間関係を築ければ、仕事も進めやすくなりますし、気持ちよく過ごせる時間も増えると思います。
私自身、できることなら周囲の人とは良好な関係でいたいです。
ただ、そのために自分の言動をいつも相手に合わせ続ける必要があるのかと考えると、少し違う気がしています。
人には、それぞれ考え方や価値観があります。
同じ言葉をかけても、好意的に受け取る人もいれば、そうでない人もいるでしょう。
自分では気を遣ったつもりでも、相手には伝わらないこともあります。
反対に、特別なことをしていなくても、自然と気が合う人もいます。
そう考えると、自分がどれだけ努力しても、相手にどう思われるかを完全にコントロールすることはできません。
それなら、相手によく思われることばかりを考えるよりも、自分が納得できる関わり方を選んだ方がいいのではないでしょうか。
例えば、誰かが他人の悪口を言っているとき。
その場の空気を考えて、あえて反論しないことはあると思います。
でも、だからといって、無理に同意する必要もありません。
相手の話を聞くだけにしてもいい。
話題を変えてもいい。
必要がなければ、その場から離れてもいいと思います。
相手に愛想よく振る舞うことも同じです。
自分に余裕があって、楽しく会話ができるなら、それでいいと思います。
でも、疲れているときまで無理に会話を盛り上げる必要はありません。
必要な挨拶や仕事上のやり取りを丁寧に行うだけでも、十分な場面はあるでしょう。
大切なのは、相手に合わせることをやめることではありません。
相手に合わせることも、合わせないことも、自分で選べるようになることだと思います。
もちろん、自分が納得して選んだ行動でも、相手が不満に思うことはあるかもしれません。
気まずくなることもあるでしょう。
ただ、相手に不満を持たれないことだけを基準にしていたら、いつまでも自分の意思で行動できなくなってしまいます。
誰かに嫌われないように生きることと、自分が納得できるように生きること。
その二つが一致することもあれば、一致しないこともあると思います。
だからこそ、私はこれからも、周囲への気遣いは大切にしながら、自分の気持ちも置き去りにしないようにしたいです。
誰にでも好かれる人になるよりも、自分が納得できる関わり方を選べる人でいたい。
今は、そんなふうに考えています。
まとめ|「いい人」をやめても、優しさまで捨てなくていい
「いい人」でいようとすることは、決して悪いことではないと思います。
相手の話に耳を傾けること。
その場の空気を考えて行動すること。
相手の立場を理解し、できるだけ気持ちよく過ごしてもらおうとすること。
どれも、人と関わっていくうえで大切なことだと思います。
私自身、これからもそうした気遣いは大切にしたいです。
ただ、以前の私は、相手に合わせることが当たり前になっていました。
誰かが悪口を言えば、とりあえず同意する。
相手によく思われたくて、必要以上に愛想よく振る舞う。
気前のいい人でいたくて、お金を多めに出す。
一つひとつの行動を強く後悔していたわけではありません。
むしろ、その場の人間関係を円滑にするためには、必要なことだと思っていました。
でも、そうしたことを続けているうちに、少しずつ疲れてしまったのです。
今でも、相手に合わせることはあります。
ただ、以前と違うのは、相手に合わせる以外の選択肢も持てるようになったことです。
無理に同意せず、話を聞くだけにする。
疲れているときは、必要以上に愛想よく振る舞わない。
お金の使い方も、自分が納得できるように決める。
気を遣いすぎてしまう相手とは、少し距離を置く。
こうした小さな選択を重ねることで、以前よりも自分のペースで人と関われるようになったと感じています。
もちろん、誰にでも同じようにできるわけではありません。
職場での立場や人間関係によっては、相手に合わせなければならない場面もあると思います。
それでも、すべての場面で相手の期待に応えようとする必要はないのではないでしょうか。
「いい人」をやめることは、誰かに冷たくなることではありません。
相手を大切にしながら、自分の気持ちも大切にする。
相手に合わせることもあれば、合わせないこともある。
そのときの状況や自分の気持ちを考えて、関わり方を選ぶ。
それくらいで、ちょうどいいのかもしれません。
これまで周囲に気を遣ってきた自分を、否定する必要はないと思います。
ただ、これからも同じように気を遣い続けなければならないわけではありません。
誰かにとっての「いい人」でいることよりも、自分が納得できる自分でいることを、少しずつ大切にしていきたいです。
あとがき|あの頃の自分へ
あの頃の私は、誰からも嫌われたくなかったのだと思います。
誰かが悪口を言えば、とりあえず話を合わせる。
相手の立場や機嫌を考えて、できるだけ愛想よく振る舞う。
ときには、気前のいい人だと思われたくて、お金を多めに出すこともありました。
そうしていれば人間関係を円滑に保てると思っていたし、実際、それでうまくいったこともあった。
だから、あの頃の自分に「そんなことをするべきではなかった」と言うつもりはありません。
ただ、少しだけ伝えたいことがあります。
誰かによく思われるために、いつも自分が頑張らなくてもいいんだよ。
相手の話に、無理に同意しなくてもいい。
疲れているときまで、愛想よく振る舞わなくてもいい。
気前のいい人だと思われなくても、自分の価値が下がるわけではない。
もちろん、これからも人に気を遣うことはあると思います。
相手に合わせた方がいい場面もあるでしょう。
それでも、いつも相手の期待に応えなければならないわけではありません。
ときには、自分の気持ちを優先してもいい。
少し距離を置いてもいい。
誰かにどう思われるかよりも、自分がどうしたいかを考えてもいい。
人に優しくすることと、自分を大切にすることは、どちらか一つしか選べないものではないんだよ。
あの頃の自分が、人間関係を大切にしようとしていたことは分かっています。
だからこそ、その気遣いを、自分自身にも少し向けてあげてほしいです。
誰かにとっての「いい人」でいようとしなくても大丈夫。
自分が納得できる関わり方を、少しずつ選んでいけばいいのだと思います。
自分の気持ちを、少し整理してみたい方へ
周囲の人に合わせることが当たり前になると、自分が本当はどうしたいのか、分からなくなることがあります。
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