「正しいことを言っているはずなのに、なぜか疲れる」
そんな経験はないでしょうか。
仕事でも、人間関係でも、
「それは正しい」「筋は通っている」
そう思えば思うほど、身動きが取れなくなることがあります。
正しさを大切にすること自体は、決して悪いことではありません。
むしろ、誠実で真面目な人ほど「正しくあろう」とします。
けれど、正しさを求めすぎると、
人との関係がぎくしゃくしたり、
自分自身を追い込んでしまうこともあります。
「正しいはずなのに、なぜか苦しい」
その違和感の正体は、
正しさと感情のズレ にあるのかもしれません。
この記事では、
正しさを大切にしながらも、
少しだけ肩の力を抜いて生きるための考え方について書いていきます。
正しいはずなのに、なぜか苦しくなる理由
正しいことを言っている。
筋も通っている。
理屈としては間違っていない。
それなのに、心が重くなることがあります。
「ちゃんと説明しているのに、なぜ分かってもらえないんだろう」
「正しいことをしているはずなのに、どうしてこんなに疲れるんだろう」
こうした感覚は、決して珍しいものではありません。
特に、真面目で誠実な人ほど、この違和感を抱えやすいように思います。
多くの場合、この苦しさは
正しさそのものではなく、「正しさと感情のズレ」 から生まれます。
正しさは、頭で理解するものです。
一方で、感情は頭の指示通りには動いてくれません。
たとえば、
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正論を言われたのに、なぜかモヤっとする
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相手の言い分が正しいと分かっていても、納得できない
-
自分の主張が正しいはずなのに、虚しさが残る
こうした経験があるなら、それは自然な反応です。
正しさは、人を説得する力を持っています。
でも、人の気持ちをそのまま動かす力はありません。
このギャップに気づかず、
「正しいのだから分かってもらえるはずだ」と思い続けると、
心は少しずつ疲れていきます。
そして気づかないうちに、
「正しくあろうとする自分」自身を追い込んでしまうのです。
関連記事:「気にしすぎる性格を直すには?疲れない心を育てる7つの習慣」
正しさを求めすぎると、人間関係は窮屈になる
正しさは、ときに人間関係を守るためのものでもあります。
ただ、使い方を間違えると、関係を硬くしてしまう こともあります。
相手が強く「正しさ」を主張してくる場面を想像してみてください。
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ルール上は正しい
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論理的にも筋が通っている
-
反論しようと思えば、反論できる
こういう場面では、
こちらも正しさで返すことは可能です。
実際、理屈で応酬すれば、
「どちらが正しいか」をはっきりさせることはできます。
ただし、その先に待っているのは、
水掛け論になりやすい消耗戦 です。
正しさと正しさがぶつかると、
話は前に進まず、感情だけがすり減っていきます。
相手を納得させるために言葉を選い、
説明を重ね、細かい部分を詰めていく。
それは、思っている以上に大きな労力を使います。
だから私は、
それほど重要でない場面では、無理に正しさで戦わなくてもいい
と思っています。
「そうですね」
「たしかにそうかもしれません」
一見すると、負けたように見えるこの対応は、
実は 自分のエネルギーを守るための選択 です。
正しさを放棄しているわけでも、
相手に屈しているわけでもありません。
ただ、
「この議論にそこまで時間と気力を使う価値があるか」
を冷静に判断しているだけです。
一方で、
相手に正しさを求めすぎると、
こちらも同じ罠に陥ります。
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「なぜ分かってくれないのか」
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「普通はこうするはずだ」
-
「正しいのに、なぜ?」
こうした思いが強くなるほど、
関係は少しずつギスギスしていきます。
人間関係は、
常に正解を出す場ではありません。
正しさで白黒をつけるよりも、
あえて曖昧なまま流したほうが、
関係が長く続くこともあります。
関連記事:「結局ストレスは人との関わりから生まれる|人間関係に疲れないために」
正しさはルールを生み、ルールは自由を奪う
正しさをはっきりさせようとすると、
私たちは自然と「ルール」を作り始めます。
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これはOK
-
これはNG
-
ここまでは許される
-
ここからはダメ
曖昧なままだと不安になるため、
明確にしたくなるのは、とても自然なことです。
ルールがあると、判断は楽になります。
迷わなくて済みますし、「間違えない」安心感もあります。
ただ、そのルールが増えすぎると、
今度は別の問題が出てきます。
それは身動きが取れなくなることです。
「これはルール的にどうなんだろう」
「前に決めたことと矛盾しないだろうか」
「例外を認めたら、また説明が必要になる」
こうして、
本来は柔軟に対応できたはずのことまで、
ルールに縛られて動けなくなっていきます。
これは、
仕事でも、人間関係でも、
そして自分自身の生き方でも起こります。
たとえば、自分に対しても、
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こうあるべき
-
こうしなければならない
-
これは正しくない
とルールを増やしていくと、
失敗や想定外の出来事に弱くなります。
少し外れただけで、
「ダメだ」「ちゃんとできていない」と
自分を責めてしまうようになります。
もともとは自分を守るための正しさが、
いつの間にか 自分を縛る鎖 になってしまうのです。
だから私は、
すべてを明確にしなくてもいいと思っています。
白か黒かを決めない。
あえてグレーのままにしておく。
それは、
適当になることでも、責任を放棄することでもありません。
状況に応じて動ける余白を残しておく
という、とても現実的な選択です。
正しさを大切にしながらも、
ルールに飲み込まれないために、
あえて決めすぎない。
この「余白」があることで、
人はずっと楽に動けるようになります。
関連記事:「頑張るために必要なこと。何も頑張れなくなっても出来ることからコツコツと」
立場や役割を持つ人にとっての「正しさ」
ここまで読んで、
「正しさを手放せばいい、という話なのだろうか」
と感じた方もいるかもしれません。
でも、必ずしもそうではありません。
世の中には、
正しさを通さなければならない立場や役割 があります。
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管理職
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責任者
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判断を下す側の人
-
ルールを守らせる立場の人
こうした立場にある人は、
個人の感情とは別に、
「正しさ」を基準に判断しなければならない場面が多くあります。
このとき大切なのは、
正しさを持つこと と
正しさに支配されること を分けて考えることです。
立場上、正しさを示す必要があっても、
それがそのまま
「人としての正しさ」や
「自分自身の価値」になるわけではありません。
役割として正しさを使う。
でも、役割を降りた瞬間まで
その正しさを背負い続けなくていい。
仕事の顔と、個人としての顔を、
きちんと切り分けること。
それができないと、
正しさはいつまでも心に居座り、
休む時間さえ奪ってしまいます。
また、正しさを通す立場にある人ほど、
「すべてを正しく運用しなければならない」
と自分を追い込みがちです。
けれど、
正しさを示すことと、
完璧であることは違います。
ルールの中にも余地はありますし、
判断には幅があっていい。
立場を持つ人こそ、
どこまで正しさを使い、どこから力を抜くか
を意識する必要があるのだと思います。
関連記事:「自己決定で人生をラクにする|強要されない・流されない生き方のすすめ」
まとめ|正しさは大切。でも、縛られなくていい
正しさを大切にすることは、
決して悪いことではありません。
正しくあろうとする姿勢は、
誠実さでもあり、責任感でもあります。
ただ、正しさを求めすぎると、
人との関係が息苦しくなったり、
自分自身を追い込んでしまうことがあります。
「正しいはずなのに、なぜか苦しい」
そう感じたときは、
正しさそのものではなく、
正しさとの距離感 を見直すタイミングなのかもしれません。
相手が正しさを向けてくるとき、
正しさで返すこともできます。
でも、それが大きな労力を伴うなら、
あえて戦わない選択があってもいい。
「そうですね」と受け流すことは、
負けではなく、
自分のエネルギーを守るための判断です。
また、立場や役割によっては、
正しさを通さなければならない場面もあります。
それでも、正しさを
自分のすべてにしなくていい。
正しさは、使うもの。
振り回されるものではありません。
白黒をはっきりさせない。
あえてグレーを残す。
その余白があるからこそ、
人は少し楽に、生き続けられるのだと思います。

