ちょっと前まで「誰々が何かをしている、自分もしなければならないのではないだろか?」という自己脅迫概念的なものに悩まされた時がある。
この自己脅迫概念はやっかいで、芋づる式に他人を気にしてしまう現象を起こす。
例えば、誰々が何かをした、それに対して(例えば)上司が「ありがとう」と言う。
たったこれだけのことだが、自分の中では「あの子はやっているのに、なぜお前はやらないんだ」というのが勝手に付け加えられる。別に誰も言ってないのにだ。
そう、これは完全に“妄想”なのだ。
だから、最近に“あえて気にしない”ということを自分に言い聞かせている。
なぜ、こんな回りくどい言い方をするのかと言うと、「これは妄想だ。気にする必要がない」というのは残念ながら自分には効果がなかったからだ。
会社にいるだけでひどく疲れる人は他人に気を使いすぎ
人に対して気を使えることは非常にすばらしいことだと思うが、度が過ぎてしまうのは宜しくないと思う。
「誰かの助けにならなきゃ」と常に思っているだけで人は消耗する。(少なくとも僕はそう)
こういう人は仕事の出来がいまいちだったり、進みが遅かったりする。
理由は簡単で意識が「自分の仕事<他人を助ける」に偏ってしまっているからだ。
仕事で消耗が激しい人は、ここにかなり体力を使ってしまっているのではないだろうか。
それでも周りが気になるなら優先順位を付ける

FineGraphicsさんによる写真ACからの写真
分かっていても、周りに気が向いてしまう人もいると思う。そういった人は、優先順位を付けたり、他人に任せてしまう、ということを自分に言い聞かせるのが良いと思う。(僕も使っている方法)
「今日は仕事を終わらせることを第1目標として1日を過ごす」や「あの作業は自分じゃなくてもできるから、手伝う必要はない」という感じだ。
もちろん緊急な場合は除くが、それ以外は特に手伝わない。理由はさっきの様な理由からだ。
気にし過ぎることにメリットは感じたことはない。ただただ疲れるだけだし、仕事が進まない。
周りにできる人がいても気にしない
自分の周りに“気遣いが上手い人”がいるが、これも特に気にする必要はないと思う。
まったく、という訳はないが「気遣いが上手い人だな~」位だ。ある意味「自分はそこに特化した人ではないので…」というようなちょっとした言い訳みたいなのもあったりする。
ただ「出来るときは(気遣い)やるで!」というようなスタンスだ。
気遣いというものは、その位でちょうど良いのではないだろうか。
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