他人を下げて生きることは自分を下げてしまう

ゆるふわ!romanです。

「他人を下げて生きる」という言葉があります。

「自分はそんなこと絶対にしない」と思っていたのですが、いざ思い返してみると「あれ?私やってしまってないか。。。」と少し思い返し罪悪感に苛まれます。

ただ、これにはある状況下で自分がそうなってしまうことに気が付きました。

もしかするとアナタにも当てはまる可能性があるかもしれませんので、僭越ながらお伝えさせていただければと思います。

【この記事はこんな人へのメッセージ】
・「成長しない」と悩んでいる人へ
・自分を高めたい人へ
【目次】

    • 人を下げていくというのは・・・
    • 知らない内に変わっている自分
    • 振り返る時間を持つことで自分を制御する
    • まとめ

人を下げていくというのは・・・

「人を下げて生きる」というのは、無価値なことであると思っています。

その理由としては、自分を見ていないから。

自分のことは棚にあげて、他人の低いところばかりに目を向けて、指摘をする。

自分が怒られる(ターゲット)にされるのが嫌だから、他の誰か(何か言っても言い返さない人)のせいにする。

さて、こんなことをして何か手にはいるでしょうか?

なんにもなりません!

少なくともプラスにはなりません。

と言っておきます。

ここまで、言い切っていながら、なぜ私は他人を下げて生きるようになったのでしょうか。

知らない内に変わっている自分・・・

他人を下げて生きるようになる自分が生まれたのは、中学生の時だったと思います。

勉強と部活の両方ともダメな子でした。

勉強はやっていなかったので、テストももちろんダメダメでしたが、部活は一生懸命でした。

でも、時間を使ったわりには成績をあげられませんでした。

部内では勝てる、けど外では勝てない。

結果、勉強も部活もできない子でした。

そうすると自分よりできる人を妬むようになっていきました。

「自分の方が練習してるのに勝てない。あいつは練習してないくせに勝てる。なぜ?」

ここからです。

人の下を見るようになったのは。

「アイツは俺より強いけど、俺よりいつも来るのが遅い(集合時間には間に合っている)」とか小さなことを考えていました。

そして、それが社会人4年目となった最近まで続いてました。

結果、私は器の小さな何もできない人になっていました。

ずっと周りと比べ、劣っていたらイジケ、「どーせ」という形で完結させる。

ずっと苦しみ続けてきましたし、今でもそうやってきたツケで、苦しみ続けています。

ただ今は前と違い、他人を下げるようにして見るのではなく、単純にすごいと思うようになり、できる範囲で真似をしようと思うようになりました。

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振り返る時間を持つことで自分を制御する

人のことを妬み、あげくの果てに、その人を下げるようなことをする。

自己防衛と言えばいいでしょうか。。。

気付いたらそうなっていたと言うしかないのです。

そして、それが癖となり今まで引きづっていた上に、代償がどうしようもない苦しみでした。

今になって思うのですが、中学生ながら色々と考えすぎていたと思います。

そして、高校、大学、社会人。

数十年間、そうやって過ごして来て歳を重ねるごとに複雑(ややこしく)考えるようになっていました。

「考えすぎていたという割には、振り返る時間を持つっておかしくないか?」と思ったかもしれませんが、色々な事をごちゃごちゃと考えるのではなく、指針を元に考えて自己修正するのです。

指針というのは考え方の軸のことで、私の場合「自分だけは穏やかにいよう」「難しく考えすぎない、まずはシンプルに考える」などです。

物事の考え方というのは、カテゴリー分けすると複数あると思うので、こういった指針は何個かあっても良いと思います。

何か悩むことがあったのなら、そのシーンに合わせて指針を当てはめて出来るだけ悩まいようにする。

これが、今の私が見つけた人を下に考えないようにする方法です。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は「人を下げてみると結局自分が苦しむことになる」ということをお伝えしてきました。

結局、私が人を下げている時の原因は他人への嫉妬心。

つまり、その嫉妬心を発生させないために指針を持つようにする

これが、私の人を下げて見ない為の対策法です。

あなたはどうでしょうか。

よろしければ「考え方の指針を持つ」を試してみてください。

roman

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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